
何かを考えようとすると、とたんに「正しさ」のようなものが顔を出す。
理屈とか、整合性とか、忘れないようにメモしとかなきゃっていう焦りとか。でも、そういうものは意外とすぐ抜け落ちてしまう。いくら頑張って覚えていても、思考って、けっこうあっさり風化する。
それよりも、ふとした瞬間に「ん?」と感じること。寒い日の背中の感じとか、人の話を聞いてるときに生まれる違和感とか、風の抜け方や、レコードの音の中にある気配とか。
そういう“感覚の記憶”のほうが、ずっと長く残っている。理屈じゃないけど、確かなもの。言葉にはできないけれど、たしかにあったという実感。
「考えを“覚えておく”のではなく、”感じる回路”を日々耕し、育てること。」
たぶん、それが大事なんだと思う。忘れることを責めるんじゃなくて、ちゃんと「感じたなあ」と思える感覚のほうを信じてみる。
そんな朝、レコードをかけた。オーネット・コールマン トリオの『アット・ザ・ゴールデン・サークル ストックホルム』。
このレコードは、記憶よりも感覚を揺さぶってくる。どこに進むのかわからない音が、突然に静かになったり、はじけたり、次の一手がまるで読めない。
でも、だからこそ身体が反応する。思考で追うことをやめたとき、気配や距離感、演奏者の呼吸に意識が向く。頭じゃなくて、耳と、骨と、空気で聴く音楽。
これは「覚える音楽」じゃない。「感じるための音楽」。そして、自分が出す音も、そんなふうにありたいと思う。
言葉にしなくても、ちゃんと伝わる何か。たしかに、そこにあったなっていうもの。
毎日、それを耕している。うまく言えないけど、たぶんそれでいい。